「江戸時代の庶民はほとんど旅をしなかった」──そんなイメージを持っていませんか?
実はその逆で、庶民たちは思った以上にフットワーク軽く、旅を楽しんでいたのです。
現代の私たちが「週末旅行」や「推し活遠征」をするように、江戸時代の人々も理由を見つけては外へ出かけていました。
この記事では、そんな江戸の庶民の意外な旅事情をひも解いていきます。
この記事でわかること
- 江戸時代の庶民がなぜ旅をしていたのか
- 庶民が楽しんだ旅の具体例やエピソード
- 旅を支えた制度や文化的背景
- ちょっとした豆知識や現代との比較
- 現代に生かせる「旅」の考え方
もくじ
江戸時代の庶民は旅をしていた!
結論から言えば、江戸時代の庶民は意外と旅好きでした。
もちろん「好き勝手に海外旅行!」というわけではありませんが、国内のあちこちへ足を運ぶことは十分可能だったのです。
お伊勢参りや善光寺詣りといった宗教的な旅が口実となり、多くの人々が「信仰」という名のパスポートを手にしたようなもの。
つまり江戸の人々は「宗教観×旅行欲」で、日本中を動き回っていたのです。
背景:旅を可能にした社会と文化
では、なぜ庶民が旅に出られたのでしょうか?
背景には街道の整備や宿場町の発展がありました。
五街道を中心に道が整備され、休憩や宿泊ができるスポットが揃っていたのです。
また、当時の社会には「お伊勢参りは一生に一度」という言葉が広まり、まるで「人生のイベント」として旅を正当化する文化が根付いていました。
さらに、庶民の間では「講」と呼ばれるグループが組織され、お金を出し合い、代表者が旅に行く「代参」システムも存在。
いま風に言えば「クラファン+旅行代理店」のような仕組みで、庶民の旅を後押ししていたのです。
庶民の旅はエンタメだった
江戸時代の旅は、ただの移動ではなくエンタメそのものでした。
例えば「お伊勢参り」では、参拝そのものよりも道中の楽しみが大きな目的。
名物料理を食べたり、温泉に浸かったり、お土産を買ったり……いわば当時の「旅行インスタ映えスポット巡り」です。
浮世絵にも旅人が描かれ、庶民がいかに旅を楽しんでいたかがわかります。
また、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』のように、旅を題材にしたベストセラー本も登場。
「旅行記」が流行するあたり、庶民の間に旅人気がいかに高かったかを物語っています。
豆知識:江戸時代の旅あれこれ
実は、江戸時代の庶民が旅に出る際には「関所」が大きなハードルでした。女性が移動する場合は特に厳しく、女手形が必要で、髪形や身体特徴まで記載された厳密な審査が行われました。
一方で、商人や旅芸人は許可・手形・藩や座の庇護のもとで、比較的移動の機会が多かったそうです。
さらに、庶民は「お土産文化」を発展させ、木彫りの人形や和菓子など、現代にも残る土産物のルーツがこの時代に普及してきたとも言われています。
つまり、今の私たちが「旅行=観光+グルメ+お土産」と考えるスタイルは、江戸時代から続いていたのです。
まとめ:江戸の旅から学ぶ現代のヒント
江戸時代の庶民は、制約が多い社会の中でも「旅を楽しむ工夫」を見出していました。
宗教的な口実や講の仕組みを利用しながら、日常から少し離れることでリフレッシュしていたのです。
これは、現代社会に生きる私たちにとっても大きなヒントになります。
「忙しいから旅行なんて無理」と思っても、小さな口実や仕組みを作れば旅は可能。
日帰りの小旅行や週末の散歩だって、十分に非日常を味わえるのです。
また、江戸の人々の旅がエンタメや文化を生んだように、私たちも「旅の途中」を楽しむ視点を持つことで、人生をより豊かにできます。
新幹線で駅弁を食べるのも、サービスエリアでソフトクリームを食べるのも立派な旅の醍醐味。
そう考えると、江戸時代の庶民は「旅の達人」であり、現代の私たちが学ぶべき「遊び心」を教えてくれる存在と言えるでしょう。
つまり──江戸の庶民に負けないくらい、私たちも旅を楽しむべし!
「今日の散歩は、明日の歴史的旅行」になるかもしれませんよ。